英語教育 2018 8 26

書名 ネイティブが「がっかり」する日本人の英語140
著者 デイビッド・セイン  PHP研究所

 私は、学校では、英語が得意で、
成績は、いつもトップレベルでした。
 しかし、アメリカ人が実際に使っている英語を見聞きして、
衝撃を受けるようになったのです。
 「今まで学校で受けてきた英語教育が間違いではなかったのか」という思いと、
今まで築き上げてきた自信が崩壊していくという衝撃です。
 その崩壊は、早くも高校2年生の頃から始まりました。
「新約聖書」(和英対照)を読んでいたら、
自分が今まで築いてきた「英語への自信」が崩れてきたのです。
 和英対照の新約聖書というのは、
ページの左半分が日本語、右半分が英語です。
 私は、時間があれば、
左右を読み比べていましたが、
今まで学校で勉強してきた英語に違和感を感じたのです。
 その後、現在に至るまで、
聖書だけでなく、英語雑誌、英字新聞、英語の電子メールなど、
数多くの英語に接することがありましたが、
「中学校の英語教育、高校の英語教育を変えるべきだ」と思いました。
 もちろん、今の英語教育は、
学校にネイティブがいて、「生きた英語」を教えているでしょう。
 さて、私の英語に対する印象は、
「英語とは、非常に『時制』というものにこだわる言語だ」ということです。
「英語は、時制がすべてだ」と言ってよいくらいです。
 外国からやってくる英語の電子メールを読んでいると、
いつも時制にこだわっています。
 そう思ってしまうのは、
日本語に、ほとんど時制がないからです。
 日本人の感覚からすると、
英語の時制を理解するには、
メモ帳に横線を引いて、
まず「今」の時点を横線に丸をつけて、
その事実が発生した時点にも丸をつけて、
その事実が過去の「ある時点」で終わっているのか、
ある程度継続したのか、今も継続しているのかなどを考えると、
日本人としては、うんざりしてしまいます。
 まず、日本では、最初に「現在形」という時制から勉強しますが、
デイビッド・セイン氏によると、
日本人は、「現在形」に対して勘違いがあると言います。
 現在形は、「習慣」を表します。
「He wears a tie everyday.」
これは、「習慣的に」ネクタイをしているという意味です。
 もし、これを現在進行形にしてしまうと、どうなるか。
「He's wearing a tie today.」
いつもとは違うが、「今日は」、ネクタイをしているという意味です。
現在進行形にすることで、「いつもの習慣とは違う」という意味合いになります。
 さて、この本からも引用しましょう。
「Help me.」や「Please help me.」は、
生命に危険が迫っている時に使うニュアンスに近いものがあります。
 他人に何かを頼む時は、
「Could you help me a litte?」になります。
 「could」は、過去形であると勉強をしましたが、
他人に何かを頼む時に使います。
 学校では、「Please」をつければ、
丁寧な表現になると教えられましたが、
たとえ、「Please」をつけても乱暴な表現に変わりありません。
 「Beer,please.」
これでは、主人が召使いに頼むような表現です。
 「Beer would be great.」
これならば、相手も喜んでビールを持ってきてくれるでしょう。
「親しい間柄にも礼儀あり」と言うではありませんか。
 デイビッド・セイン氏が、この本で言いたいことは、
日本人が使う英語は、乱暴な表現が多いが、
英語にも丁寧な表現があるということです。
 しかし、日本人の英語が乱暴な表現になったのは、
学校で乱暴な表現を教えているからであると言えるでしょう。
 日本は、「おもてなし」の国なのに、
日本人の英語は、乱暴な表現が多いというのでは困ります。








































































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